織田信長【尾張の大うつけと呼ばれた男】
こんにちは、獅子丸です。
誰でも知ってる織田信長、日本の歴史の中で見ても、特に鬼才を放つ人物として有名です。その信長について見ていきましょう。
織田信長とは

父は織田信秀、母は戸田御前
天文3年5月12日(1534年6月21日)
尾張国(現在の愛知県西部)に生まれる
幼名は吉法師(きっぽうし)
大うつけと呼ばれた若き信長
大うつけとは、大バカものという意味です。
信長の若い頃の行動を見て周りの人々は大うつけと呼んでいました。
なぜ、信長が大うつけと呼ばれたのか?
それは、服装や行動にありました。
服装
頭は茶筅髷(ちゃせんまげ)
髪の毛を後ろで束、赤や黄色などの糸で巻いた簡単なもの。
服は湯帷子(ゆかたびら)
袖なしのバスローブのようなもの。袖がない方が動けるからだとか。
ズボンは半袴(はんばかま)
現在で言う半ズボンみたいなもの、動きやすいからだとか。虎柄、豹柄を好んだみたい。
という奇抜なスタイル。腰には瓢箪(ひょうたん)、火打ち石袋などを常にぶら下げて歩いていた。
普段の行動
先ほどの服装のまま、柿や栗を食べながら歩くといった行動をしていたそうです。
時には5〜6人で町中をうろついていたとか。
袖なしのバスローブに短パン、町中を歩き回り、5〜6で束になってる‥ちょっとやばいかも知れませんね。このような人に町中で出くわしたくないですよね。
父親の葬儀の時
有名でもある逸話、信長の父が亡くなった時の事。葬儀の時に起きた。
父の葬儀にまさかの遅刻。
お焼香の時にまさかの灰を祭壇に投げつけた。
「このような時に死におって」などと吐き捨てたという。
この時皆が思ったであろう、織田家は大丈夫なのであろうか?と。
まとめ
このように、信長の若い頃は奇行で周りからは大うつけと呼ばれた男でした。
この時はまだ誰もが、天下に名を轟かせるとは微塵も思ってなかったでしょう。